岩井克人

『会社はこれからどうなるだろう』

平凡社,2003年2月刊行



 本著者は東大教授で経済学者である。ここでは、会社がもつべき課題克服のヒントが、NPOのような新しい活動の中に見出される、とその将来可能性を予測して見せた。むろん、NPOを主宰する私にとっては嬉しい将来展望だが、「居酒屋」という卑近な日常例を採り上げて、今後の、会社を含めた「事業体」のあり方を示唆してみたい。

 「会社」とは事業体である。その事業体の規模の大小を問わないとしたら、例えば、大人であれば一度ならずお世話になっている「居酒屋」あるいは、 スナック やバーを含めた「行きつけの呑み屋さん」とその対象を広げてもよい。実は、私の行きつけだった居酒屋の女性経営者(50代後半)が私に話してくれたことである。

 彼女は、その居酒屋を開く前に、渋谷で小規模のバーを営んでいた。16年も続いたそうだ。客が溢れてこまる、ということは無かったけれど、高度経済成長期と時を伴走したことも手伝い、割と順調な経営だったという。ところが、一度、病に倒れて数ヶ月休業したことがあった。休業中、店の換気に訪れたとき、ある光景に出くわし驚いたというのだ。それは、シャッターで閉じられた店の入口のあちこちに、テープなどで張られた常連客のメモ書の数とその内容に驚愕したのだった。「ママ?、大丈夫。この際だからゆっくり骨休みして!」に始まり、「休業はいつまでなの?」に続く余裕も、「もうそろそろ出てきませんか?」に至り、暫くしたら「ママ、どうしたの。僕にどこへ行けって言うんだ。早く開けてくれ!」と叫ぶ声や、「一時凌ぎに、別の店を見つけたが、どうも空気が合わない。何も作らなくていいから、ともかく出てきて!」と懇願する言葉に変容してきたというのだ。このメモは一人や二人ではなかった。その経営者は、事情で、最後はその店を閉め、私が出入りするようになった「居酒屋」を東京の郊外に開店して今に至るが、しみじみと私に言う。「佐藤さん、お店はお客のもんだね。店主の自由にしちゃいけなんだよ。だから私は少々の具合の悪さや風邪くらいなら、決して休もうと思わないね。なぜって、このお店は、私のものでありながら、私のものじゃないってことなんだよ。勝手に休業したら、いつも来てくださる常連客は、どこへ行けばいいというんだい。そう簡単に乗り換えられるっていうわけにはいかないんだ」と。そのママの手料理は確かにうまい。だが、それだけで顧客は定期的に通うのではない。常連客は、自分の座る指定席がある。そして、自分の飲む酒も肴も定番だ。常連客同士で、世間話も弾む。そこには、法律上、処分権利のある経営者の店主でありながら、その法規定の外側に存在する、ある種の文化空間、顧客の立場に立てば、生活空間が厳然として「存在する」のだ。そういう文化空間と生活空間は、法律上処分権限のある経営者の勝手でどうにでもなる、と考えることが、何を意味するか、というそこを私は指摘することが、「会社」の存在理由の何かしらの示唆が見えてくるのではないだろうか。これ以上は、「会社経営者」が、どうぞお考えください、私は資本主義に絡め採られて身動きできない「会社」には、端から関心も興味もないのですから、悪しからず。

 佐藤昭治
(NPO法人日豪人物及び文化交流協議会理事長)